第50回 3.11避難した家族の思い
◆第50回「3.11から今まで、そして、これから」

◆第50回「3.11から今まで、そして、これから」

2012年9月26日(水)午後7時から「福島から避難された方の思いに寄り添いたい」「支援をしたい」と、NPO代表、企業CSR関係者、経営コンサルタント、金融パーソン、ビジネスパーソン、大学職員、IT企業経営者、市民メディアプロデューサーなど、15名の場づくり人が集いました。(感謝!)詳細はこちら

 震災被害・原発事故で県外避難を強いられ、福島県からの県外避難者は、全国に6万人を超えています。
 現在は横浜市で暮らしている福島県浪江町の伊藤まりさんにおいでいただき、今の思いを率直にうかがい、一緒に「これから」を考えました。

◎第50回テーマ:「3.11から今まで、そして、これから
              ~浪江町から避難した家族の思いを率直に聴いて、…。」
                                     
☆ゲストスピーチ 伊藤 まり(いとう まり)さん
            (福島県浪江町から県外避難、横浜市に在住)


人結びの場  浪江町は海に面した浜通り地域にあり、気候が穏やかで、TOKIOのDASH村もあった良いところです。
福島県がオーストラリアと形が似ていることから、自己紹介の時にはいつも福島の「ゴールドコーストだ」と言っておりました。そこが、放射能汚染で5年以上戻れなくなるのではないかと言われています。

 私は東京に育ち、企業勤務時代に知り合った夫と結婚後、夫が創業93年になる家業の鉄工所を継ぎ、浪江町に住むことになりました。私自身は家業のかたわらボランティアで地域にかかわり、学校で英語や国際理解の授業を受け持ち、その中で地球資源やエネルギー問題もとりあげていました。今、エネルギー問題に直面しているのは皮肉なものです。

 浪江町では、商工会女性部などで地域活性化の活動に取り組み、「浪江やきそば」B1グランプリの手伝いにも行ってきました。また、「ワクワクなみえCMコンテスト」(2008年~)を開催してきました。 http://www.geocities.jp/wakuwakunamie2008/

 震災当日、私の家も鉄工所も、津波の被害は大丈夫でしたが、事故を起こした原子力発電所から8㎞くらいのところでしたので避難を余儀なくされました。家族は無事でした。

 原発事故のために救助できなかった人たちがいました。最初は声がしていました。生存者がいたにもかかわらず助けられなかったのです。津波の被害にあった人は、ガレキと一緒に洗濯機でもまれるようになっており、ご遺体がとても酷いのです。地元の消防団の若手団員も特別な訓練を受けているわけではなく、救助にあたって、「助かった命も助けられなかった」ことに深く傷つき、心のケアを必要とする人もいます。

 地震の翌朝、浪江町民の多くが原発事故により津島地区に避難しました。強制退避、もちろん着の身着のままです。小さなおむすびが朝夕に2個、一人2枚の毛布、外は雪。あとになって、そこが非常に放射線量の高い場所ということがわかりました。
 避難区域の牛や豚などの家畜は内部被ばくをしているかもしれないので殺処分の指示、では内部被ばくをしているかもしれない人間はどうなのでしょう。ただちに身体に影響はないといっていましたが、数年後どうなのでしょう。

 5日後、津島から東和町の廃校の体育館に移動しました。雨漏り、隙間風、仮設トイレは2つだけ。お風呂は1週間入っていません。体調を崩し救急車で運ばれる人も増えてきました。過酷な状況でしたが、朝のラジオ体操や食事当番など、次第にコミュニティーができ、家族をなくした者同士があらたな家族をつくるというつながりが出来てきました。

 その後やっとガソリンが手に入った段階で大玉村、そして、私の実家である船橋へ移り、そして昨年末、横浜市にきました。7カ所目の避難先です。犬を2匹飼っていたのですが、すぐに帰れると思い1匹は避難するとき連れていきませんでしたので、もう生きてはいないとあきらめていました。そうしたら、動物ボランティアの方が犬を保護していてくれて、長野県の家族が飼っていてくれているのがわかったときには家族中で泣きました。

 復興に関する町民のアンケートでは、「警戒区域等が解除されれば戻る4.9%」「放射線量が下がり、上下水道、電気などの生活基盤が整備されれば戻る15.7%」「放射線量が下がり、生活基盤が整備され、他の町民がある程度戻れば戻る43.5%」「上記を踏まえても戻らない32.9%」となっています。

 ライフラインが整わず、除染をしても風向きでまた線量が高くなるのではないかと、あきらめている人が多く、戻るとしても待てる期間は3年以内が半数となっています。

 現在、横浜市のコミュニティセンターで仕事をしています。避難先での不満はありませんが、以前のコミュニティーが分断され、人とのつながりが少なくなってしまいました。

 チャーチル伝の中に「これからの人生は真っ白のキャンバスに鮮やかな水彩画で色をつけるようなものだ。下手に描いても木々は文句をいわないから」という言葉があります。まったく違う環境の中でこれからの自分の人生がどう進んでいくか楽しみでもあります。

  地震ニモマケズ
  原発事故ニモマケズ
  年齢(トシ)ニモマケナイ丈夫ナカラダヲモチ
  タクサン欲バッテ人生ヲタノシミマセウ



◎ 人むすびカフェ  ファシリテーター:角田 知行さん

人結びの場

これからのことを考えたい伊藤さんと一緒の対話のお題は、
「今日、ここから持ち帰りたいこと(問い、メッセージ、やりたいことなど)は何ですか?」




・人の結びつきの強い地域は強い。生きていく力はつながりから。
・マイナスではなくプラスにしていく思考。生きる強さ、希望をもってふるさとを  考えること
・小さくていいから希望の持てるプロジェクトを一緒に取り組みたい。
 何かの先進地にしていく。
・つながるきっかけをつくるプロジェクトがあったらよい ⇒コミュニティに戻る
・進んでいる分断を「結ぶ」には、被災者から発信していくことが必要
・亡くなった人のことも大事ですが、今一番大事なのは今生きている私たち、生きて
 いく私たちの“心”だと思います。“心のケア”バランスある平常な心をもつことが
 平和な生活と思います。など

人結びの場 人結びの場 人結びの場 人結びの場

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[編集後記]伊藤さんは震災後初めて、人前で話をしてくださいました。私たちも初めて知った事実に、胸がつまりました。静かに、毅然と語る伊藤さんの体験、思いに共感できるとは、とても軽々しくは言えることではありません。でも、ある日、突然、それまでの生活がなくなってしまったら!? 本当にはわからぬまでも、自分のこととして、耳を傾け、想像し、感じて生きていこうと思います。
 これから、語り継いでいくことをライフワークにしたいとおっしゃる伊藤さんに幸いあれと祈ります。私たちもコミュニティの再生になんらか助けになれれば、と願っています。(高重)

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