
◆第38回 「取材力を考える」
2011年9月28日(水)午後7時から「これからの新聞は?取材力とは何?高めたらどんな可能性があるの?」に関心深い出版関係者、NPO代表&職員、金融パーソン、教員、経営コンサルタント、大学生、地域新聞レポーター、講師、カウンセラーなど22名の場づくり人がじっくりを思いを紡ぐ時間を過ごしました。(感謝!)
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今、マスメディアで取材力を高めていくことが求められています。
現役新聞記者の須貝さんから、「新聞記者魂」に満ちたお話を伺い、皆さんと対話しました。
世の中で何が起きているかは、現場に足を運ぶことで初めてわかります。それが新聞やテレビ、報道の役割の原点であったはずです。しかし、近年は感情的な「あるべき論」ばかりが報道分野で目立つようになってきました。事実の検証が弱まっています。
そこには現場を軽視し、当事者への直接取材も不十分で、役所の説明や間接情報、学者らの見解など、情報の2次利用ですませる傾向が背景にあると思われます。マスコミ界の「評論家化」の進行という、メディアを巡る問題点と課題が見受けられます。
◆ 第38回テーマ: 「取材力を考える」
☆ゲストスピーカー
須貝 道雄(すがい みちお)さん(新聞記者)
須貝さんは、大手新聞社の現役記者です。新聞制作の現場も変わり、新聞記者同士で議論することも少なくなっており、最近、自分自身でも新聞を読んで疑問に思うことが多くなったと言います。
1.みんなが同じことを言う。論調の一元化。異端が消えた
・新聞でも放送でもストライクゾーンの中で、書いたり述べたりしているようだ。
・最近では菅直人おろし。根回しがない、市民運動レベルと批判し、中身の評価ではなく
手続きばかりが問題視される。原発凍結の意味など内容をあまり吟味せず、
批判をしていれば「安全パイ」の様相である。
2.通説・俗説・神話を検証せずに主張する傾向が顕著
・典型は「日米同盟」を絶対視する報道姿勢
・米国は日本の平和を守ってくれるという「通説」を全く疑わないが、
1970年代、ベトナム戦争時はどうだったか。
・外交交渉は時には対立しながら議論を重ねるという発想が皆無である。
・原子力発電の安全性神話に対しても、今回の事故が起こるまで、
それに疑問を呈して書いていた新聞はあっただろうか。
3.エコノミストらの不思議な論理の鵜呑みが目立つ
・派遣という働き方を禁止すると、企業が採用に慎重になるから失業者が増える。
・最低賃金を上げると、雇用不安を生み出す。
・実情の取材よりも、経済効果を机上で議論し、人権の視点が抜けており、
本質の議論がされていないおかしさ。役所が言っていることと同じ。
4.「痛みを分かち合う」論の台頭 新聞・放送が庶民の味方から離脱か
・「痛み」とはすなわち消費税の増税、社会福祉の給付水準の引き下げなどについて、
「痛み」を回避する手段・方法の取材や追求の姿勢があまり見られない。
・国家財政に限界があり、余力がないという通説・俗説への疑問の視点がない。
・新聞記者が偉い人になったようで、庶民の味方に立っていない。
5.新聞に求められるのは「論より実態解明」
・なんだかよくわからないが、こんなことが実際にあることを示す。
・「危険な職業、ジャーナリスト」という言葉の意味を考える。
・危険なところに行かなくなっているが、そこにニュースがある。新聞の命は現場にある。
6.JCJ(日本ジャーナリト会議)「ジャーナリスト講座」開講の目的
・上記のような危機感を一番感じているのがベテラン記者である。
・記者が会社の枠を超えて横につながる重要性を大切にし、独立した一記者としての
目線を確立してもらいたいと考えている。
◎ 人むすびカフェ ファシリテーター:高重 和枝
「人むすびカフェ」は、ワールド・カフェの手法を用いて、ひとつのテーマから連想されるアイデアを出し合い、はじめての方とでも楽しく話し合いをしています。テーブルを回っていくことにより、多くの人と対話を深められます。
今回のお題は、「マスメディア、とりわけ新聞の役割は何でしょうか?「取材力」を高めるとどんな可能性が開くでしょうか?」
須貝さんも入っての対話の場は、一つひとつ言葉を大切に紡ぎながら、思いを分かち合いました。
・メディアの多様化の中で、“紙媒体としての新聞”が危機的な状況にある
・年配の方は新聞を読むことが普通となっている。読まない若者を理解出来るが、やはり読むべき、読んでほしいという感情が強い。
・新聞 ⇒取材力 ⇒人の能力(人間性)
・取材力 ⇒コミュニケーション力であるとか人間力に通じる。
教育面でも大事なテーマになるだろうとの意見が参考になった。
・事実と真実の意味
など
最後に今日の気づき、キーワードを感想に残し、懇親会に向かいました。