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「人財の森」コラム

馬場 正尊(ばば まさたか)さま

【所属】
株式会社オープン・エー 代表取締役

【略歴】
佐賀県生まれ。早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂、早稲田大学博士課程、雑 誌『A』編集長を経て、2002 年会社設立、建築設計、都市計画などを行う。 勝どきTHE NATURAL SHOE STORE オフィス&ストック。門前仲町・東日 本橋のオフィスコンバージョン等。著書に「R the Transformers/都市をリサイク ル」等。東京のイーストサイド、日本橋や神田の空きビルを時限的にギャラリーに するイベントのディレクターも務め、多角的な行動で都市に関わっている。

「ポスト・まちづくり」を実践されているとのことですが、どのような取り組み をなさっていますか?


 過去5年間、日本橋の裏通りの古いビルを再生・リノベーションをしたり、面白く感じるものを発見したりして、このエリアを再生・活性化してきました。設計からの発想からやってきましたが、結果的に新しい時代のまちづくり「ポスト・まちづくり」の方法論だと思っています。

どんなことをやってきたかを時系列的にお話します。もともと僕は、大学で建築デザインやまちづくりを学んできました。その後、広告会社に勤めたり、雑誌の編集をしたりして、メディアの作り方、プロジェクトの起こし方などを実践的にやってきました。

 30歳過ぎに建築設計を本格的にやろうと思ったときに、外資系の銀行が不良債権処理として買った古いビルを、そのままでは転売できないので、デザインし直して欲しいという依頼がありました。リアルな話で、すごく新鮮な気持ちがしました。というのは、一つの建物の再生ではなく、社会的問題への問いかけだと直観的に感じたからです。

馬場 正尊(ばば まさたか)さま  2003 年、オフィスビルが余る時代になったので、ビルの再生をやっていこうと思いました。そこで、不動産とデザインが融合しながらまちが変わっていく手法を、アメリカに取材に行ったりしましたが、あちらで空洞化していたまちが新しく再生するのを見てきました。コンテンツを変えることによって、まちは再生していきます。日本でも、ドラスティックにまちを変える方法はないのか、と考えていました。それをどこをベースにやろうか、と考えたときに日本橋だと思ったんです。

 誰もが知っている日本橋だけど、空きビルがいっぱいあり、東京駅からワンメーターというところなのに、裏には古い商店街が残っている。自分が九州の商店街の出身なのと、昔からあるまちだからか、どこか懐かしく東京の中の地方のように感じています。そこに面白さやチャンスを感じて、物件探しをして、会社を移しました。

 最初は僕だけだったんですが、日本橋・神田界隈で再生をいろいろ手がけていくうちに、面白い発想の人がポツポツを集まりはじめたんです。アトリエ業者、編集者やデザイナーも集まってきました。最初は事務所が多かったんですが、ギャラリーが増えてきました。

 今では、東京で有数のギャラリーの集積地になっています。飲食店も増えてきました。いつの間にか集積ができて、まちのコンテンツが多層的になってきて、点の活動が面の広がりを見せてきました。

建築設計がご専門でしたのに、不動産仲介サイトを立ち上げられたきっかけは?


 僕たちと不動産屋さんには埋めがたいミゾがあると感じました。たとえば、物件探しをして面白かったのは、「現状回復義務って知ってる?」という不動産屋さんの言葉でしたし、ノリのいい不動産さんでも「こんなボロの物件でいいのか」とずいぶん驚かれました。

 今のオフィスは駐車場を借りて改装したものです。古いビルをドラスティックに変えるケーススタディをしてみました。このプロセスを通じて、デザインを描けない素人の方には無理だから、日本のビルは全部空いているんだな、と思ったんですよ。

 既存の不動産の場合だと、システムが整っていません。情報が届くフローは整っていないし、デザインも描けないので、物件は結局放置されていて、ニーズとウオンツ、つまり需給のバランスが一致しないと思っていました。

馬場 正尊(ばば まさたか)さま  そこに、「空きビルから眺める東京」という僕のブログを見て、空きビルをこんな見方をするんだ、面白い、借りたいという人が出てきて、不動産仲介サイトをしようという企画が持ち上がりました。

 そこで、日本橋エリアの「ボロだけど味のある物件」を集めたマニアックな不動産Webサイトとして始めたんですが、編集者、デザイナー、アーティストなどが見るようになってきました。それが、不動産の紹介なのに変わっていると話題になり、今では月間ページサイトビューが300 万サイトビュー、会員が2万数千人ということになりました。

 夢にも思っていませんでしたが、メディアのように観察力があり、実業があるサイトが「まちづくり」や「人づくり」につながっていることに気づきました。

 物件を発見する「ドライバー」としてサイトが存在して、さらに面白い、変わった人が多いから、オーナーへの「まちの翻訳家」としても存在し、「まちのファシリテーター」のような役割になっていきました。
それで、雑誌の取材がくるくらい「最近、日本橋、神田が熱いよね」とよく言われてい ます。

一人のネットワークがまちをつくるということはどんなことでしょうか?


 マスタープランを描いてまちをつくっていこうという帰納法型のまちづくりや、強烈なシンボルをつくってそれをカンフル剤としてまちを変えていこうとすることが、20 世紀のまちづくりの一つの方法論だと思っています。しかし、それだと、積み上げきれない何か、地域経済としてドライブしていかない、というまちづくりの難しさも感じていました。
 私たちの仕事は、不動産や新しい集積ができ、地域としての効果を得ているし、Web という性質から東京中から人を集めてきているので、このやり方は演繹的でゲリラ戦的なまちづくりの方法論ではないか、と気づいたんです。

馬場 正尊(ばば まさたか)さま  大きい資本で、大きい変化を仕掛けることは、東京の国際的な地位や競争力を保つためには必要だと思っています。

 一方で、僕たちのやっているような小さい資本ですが、フットワークと感性でノリを共有しながらやっていく都市の変革が面白いし、リアルに感じられます。楽しいです。

 人の発見があり、このノリ、考え方をする人が集まってきて、いつの間にか集積ができて、まちのコンテンツが多層的になっていき、変化を楽しむような演繹的に地域のデザンを描いていくこういう方法論もあっていいと思います。

 新しいまちづくりには、実践するプロセスのプランニングが大事です。どう人がまちを形成していくか?集まってくるか?人が育つか?をプランニングすることです。「ドライブ感×資本×楽しさ」がキーワードかな、と思います。そこに、ボランタリーな部分を組み込んでいくと力を持ってきます。

馬場さんにとって人づくりとはどういうことでしょうか?


 人の発見とネットワークから、ポテンシャルを引き出して、つながっていくか、ということだと思います。サイトのシステムは、人財育成につながるように思っています。スタッフが物件を自分で探してきて、自分でWebにアップします。一人ひとりの感性、作家性があるのです。
指示は細かくしません。細かいとこをまでは管理しません。自分の自主性とセンスをサポートするシステムとして存在しているのです。

 集まってくるスタッフは、ファッション系、建築系、写真・ダンスなどアート系だったり、不動産に無関係の多様な人が集まっています。一人ひとりに責任があり、顔の見える関係なので、自分から進んで丁寧に関係をつくっています。地域の中で欠かすことのできないに人間になって、面白い仕事をやってきます。いつの間にか勝手に育っていきました。

 育てたわけではなくて、がんばって成果が出るサイクルをシステムに組み入れると、それに乗って育つ人財が出てくる。人財も集まってきます。

 人を育てようと思っても難しいですが、勝手に育ってくれる状況をつくることにより、身体の中に眠っているポテンシャルが引き出されていくので、面白い人が集まってくるし活気があります。

 人の発見とネットワークのポテンシャルを引き出し、面の展開をしていくこと、これが人づくりにつながり、新しい人財とのつながりやプロジェクトが起こってきます。「類は友を呼ぶ」「情報は発信することころに集まる」ということだと思います。

馬場 正尊(ばば まさたか)さま 本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。人の発見とネットワークと一人ひとりのポテンシャルを引き出すシステムから自然と育つ"人財の森"づくりという観点からお話いただきました。


 (高重 和枝)

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